創る側に立つ覚悟 ― 原作者が演出を手放さなかった理由

当日の舞台稽古の最中、
ふと、ある演出が頭に浮かびました。

「今、ここだ!!」

そう思った瞬間、私は客席に降りていました。
舞台上の俳優たちを、
“観る側の目”で確かめたかったからです。

その時の写真が、これです。

後ろ姿ですが、
よく見るとワイヤレスマイクのコードが見えます。

私はこの作品の
原作者であり、脚本家であり、演出家です。
そして同時に、俳優でもあります。

だからこの稽古中も、
演出家として外に立ちながら、
俳優として舞台の呼吸の中にいました。

原作者として

物語は、文字にした時点で完成するものではありません。
舞台に立ち、
俳優の声と身体を通した瞬間から、
別の命を持ちはじめます。

物語の成り行きや登場人物を考えているとき、
私の中ではすでに、舞台上の景色や演出が同時に立ち上がっています。

原作者だからこそ、
「ここは違う」
「ここは、もう一段深く行ける」
「もっとインパクトを与えられる」

そう感じる瞬間があります。

それは支配や自己主張ではなく、
原作者として物語に最後まで責任を持とうとする、
ごく自然な衝動なのだと思います。

脚本家として

台詞は、常に流動する生き物。
俳優の呼吸やストーリーの流れに合わなければ、
削ることも、変えることも、待つこともあります。

実際、今回私は、二回目の稽古を終えた段階で、
脚本を大幅に書き換えています。

それは迷いでも妥協でもなく、
今回のキャスティングで物語を完成させるために、
どうしても必要な作業
でした。

正解は、稽古場にしかありません。

演出家として

舞台は、舞台上だけで完成しません。
完成する場所は、客席です。

だから私は、何度でも客席に降ります。
自分の作品を、一人の観客として見るために。

そして私は、音を聴きます。

舞台上と客席では、
音の伝わり方も、聴こえ方も、まったく違います。

最終的に声を届けたい相手は、
舞台の上にいる人ではなく、客席にいるお客様

だから私は、何度でも客席に降りて、
一人の観客として音を聴くのです。

ただ今回は、
そこに十分な時間を割く余裕がありませんでした。

限られた時間の中でリハーサルを成立させるため、
段取りや進行に追われ、
客席でじっくり音を聴くことができなかった。

それが、今も少し心に残っています。

けれど同時に、
「次は、必ずそこに時間を取る」
そう強く思わせてくれた経験でもありました。

そして、俳優として

そして私は、この作品の主演でもあります。

本来であれば、
俳優として舞台上に集中し続けるべき立場です。

それでも今回は、
客席に降り、全体像を確認しなければなりませんでした。

舞台上の俳優としての身体から、
次の瞬間には、客席に立つ演出家の視点へ。

その切り替えを、
何度も、瞬時に行わなければなりませんでした。

それは単なる集中力の問題ではなく、
気力や体力を土台にした、
瞬発的に立場や見え方を切り替える能力
常に求められる作業だったのだと思います。

舞台に立ち続けながら、
同時に外側の視点も失わずにいること。
それは想像以上に、消耗の大きい仕事でした。

最後に

私は、
原作を作ること、
脚本を書くこと、
作詞をすること、
演出をすること、

そして演じること…

どれも譲りませんでした。
なぜならこの作品は、
私の血肉そのものから生まれた物語だったからです。


この経験は、
舞台の世界に限った話ではありません。

一人で複数の役割を担いながら、
瞬時に視点を切り替え、
最終的な「届け先」を見失わずに判断すること。

それは、
組織やチームを率いる現場にも
共通する力だと感じています。

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