小さくなった母の背中を見て、命のつながりを思った日

先日、宇都宮に帰り、
間もなく93歳になる母と一緒に、父と祖母のお墓参りに行きました。

身長161cmほどあり、若い頃はハイヒールを履いて都会のオフィスを闊歩していた母。
今は158cmの私が見下ろすほどに小さくなり、背中は丸く、杖をついてゆっくりとしか歩けません。

その歩みに合わせて歩く、ゆったりとした時間。
その時間の中で、たくさんのことを感じました。


母は、パーキンソン病になった父を、約5年間、老々介護していました。
父は母に甘えきっていたので、それは本当に大変だったと思います。

約4年前に父が亡くなり、最後まで見送った母は、深い悲しみの中にいながら、
どこか肩の荷が下りてホッとした気持ちも、正直あったのではないかと思います。

けれどその後、母は少し呆けたようになり、家族は心配していました。

好奇心旺盛で、旅行が好きで、
綺麗なものを見ると瞳をキラキラさせて喜んでいた母。
その瞳から色が消え、無表情になっていく姿を見るのは、私にとっても辛いものでした。

デイケアサービスにも頑として行こうとしない母。
昔からのプライドがそうさせているのかもしれません。
人と交われば、きっと楽しいこともあるだろうに……
そう思うのは、周りの勝手な想像なのかもしれません。


前日に、
「明日、宇都宮に帰ってお墓参りに行こうと思うのだけれど、一緒に行く?」
と電話で聞いたところ、

母は即答で、
「行く!あなたが行くなら一緒に行く!」
と答えました。

その声を聞いたとき、胸がじわりと熱くなりました。


父方のお墓参りを済ませた後は、
鹿沼市にある母の実家のお墓へ。

母は、ふと思い出したように、
こんなことを話してくれました。

祖母が、生前に一度だけ、
ぽつりとつぶやいた言葉があるのだそうです。

「別の人生もあったんだけどね……」

その言葉を聞いたとき、
同じ女性として、
胸が締めつけられるようで、
涙がこぼれそうになりました。

私はただ、
「つらかっただろうね。みんな……」
そう言うことしかできませんでした。

私の祖母は、実の姉が29歳という若さで亡くなった後、
その夫である義理の兄に嫁ぎ、
22歳で姉が残した二人の幼子の母となり、
一生、家業の農家をやり続けた女性です。

家督制度が色濃く残る時代、
女性が自分の生き方を選ぶことなどできなかった。

その長女が、私の母。

最愛の姉が亡くなり、
妹がその夫に嫁いでくれたからこそ今ある、母の命。
そして、私の命。

墓石に並んで刻まれた姉妹の名前と、
その反対側に刻まれた祖父の名前。

お花を添え、お水をあげていると、
ふと、
二人の女性が並んで、
私たち母娘をやさしく見つめているような気がしました。

祖父は私が生まれる前に亡くなり、
お姉さんのお顔ももちろん知りません。

それでも、私の心には、
そのお姉さんへの思慕が、確かにあります。

父の母、母の母、そしてその姉。
私には、祖母が三人いるような気がしています。


お墓参りの後、
母とよく一緒に行ったカフェでランチをしました。

大好きだったナポリタンと、食後のスイーツ。
「美味しいね〜」と嬉しそうに食べる母を見て、

「ああ、帰ってきて本当に良かった」

心の底から、そう思いました。


車で護国神社の横を通ったとき、
母がふと、

「よくここに一人で来て、泣いていた」

とつぶやきました。

私たち兄妹三人を育てるために、
母がどれほど辛い思いをしてきたのか。

父や姑への恨み節も、
娘だからこそ言えること。

私はただ、
「うん、うん、そうだね」
と聞いてあげることしかできませんでした。


神奈川に戻ってから、義姉に感謝のメッセージを送ると、
「お母さん、嬉しそうでしたね〜💛」
という優しいLINEが届きました。

心優しい人たちに囲まれて、
母も、私も、幸せですね。


「こんなに長く生きるとは思っていなかった」

そう言う母。

89歳で亡くなった祖母、
91歳で亡くなった父。
母はもう、二人を追い越してしまいました。

小さくなった母の背中を見て、
あとどれほど一緒に過ごせるかわからない時間を想い、
もっと頻繁に会いに帰ろう
そう、強く思いました。

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