お盆になると、もう会えない大切な人たちを思い出します。
私にとって、忘れることのできないそのお一人は高校時代の声楽の恩師、戸田敏子先生です。
声を失いかけた高校時代
高校時代、地元の短大を出たばかりの若い先生に歌を習っていました。
体の使い方や支えの意味も教わらず、ただ大きく強い声を出すことだけを求められ、無理な発声を繰り返す日々。
初めは少し声が出たものだから、私も調子に乗り、オペラのアリアをガンガン歌い、コンクールで準優勝。
ところが、ある日突然、声が出なくなりました。話し声は何とか出るのに、歌う声はうんともすんとも言わない。
高校2年生で、音声障害の一歩手前でした。
救ってくれた恩師との出会い
渋谷に診療所を構えていた音声学の権威・米山文明先生から「今の発声を続ければ一生歌えなくなる」と告げられ、すぐに先生を変えることを決意。
後に知り合いの声楽家の方から紹介されたのが東京藝術大学名誉教授の戸田敏子先生でした。
凛として威厳があり、大輪の薔薇のように華やかな先生。正直、怖いくらいでした。
でも先生は、完全に壊れかけていた私の声を、桜の花びらを一枚一枚剥がすように優しく解きほぐし、再び歌えるよう導いてくれました。
子どもだった私と、先生の叱咤
戸田先生のおかげで声が少し戻ってきた頃、私はまた調子に乗り、高3で地元のコンクール優勝を狙おうとしました。
「出たい!」と相談した瞬間、先生は烈火のごとく怒鳴りました。
「あなたは今、治療中なのよ!
馬鹿なことを言うんじゃありません!」
泣きながら帰った東北本線の車中。
当時は「どうしてあんなに怒るんだろう?」と思いましたが、今ならわかります。
本気で治して、もっと大きくて確実な夢を叶えさせたいと思ってくださったからこその叱咤だったのです。
芸大合格、そして別れ
その後はコンクールを諦め、ひたすらレッスンに通い、東京藝術大学声楽科に現役合格。
「まだ早いのよ、困ったわね…」と心配しながらも、最後には満面の笑みで「合格おめでとう!」と祝ってくださいました。
残念なことに、藝大では戸田門下に入ることが出来ず、また発声難民になります。
その5年後にはクラシックからミュージカル界へと転身もするので、いつも「安全で正しい声の出し方」を見つめ探求してきました。
それが現在の「ハッピースマイルブレスメソッドⓇ」に繋がっていきます。
この写真は藝大時代の学内演奏の時のもの(聖子ちゃんカット(笑))

大学3年時に地元宇都宮で開いたコンサート。
クラシックギターを習っていた兄と一緒に開催しました。


藝大オペラ スメタナ作曲「売られた花嫁」にコーラス参加。
懐かしい(*^^*)


9月24日が戸田先生のご命日です。
お盆とお彼岸は、先生の教えを胸に、静かに感謝を捧げます。

そして今の私
実は、今年7月に風邪をこじらせ、久しぶりに声帯を痛めてしまいました。
5月6月と様々な苦難があり、免疫力も大分弱っていたみたいです。
まさか風邪がこんなに長引くとは思ってもいませんでした。
数十年歌ってきた中で、声が出なくなった経験は何度もあります。
辛く、もどかしい思いもたくさんしてきましたが、やはりこういうとき真っ先に思い出すのは高校時代の戸田先生の教えです。
憂えることなく現状を受け入れ、一つ一つに向き合っていく。
「呼吸」に意識を向ける。
歌うことは究極の「呼吸」なのです。
今、改めてそれに向き合わされているような気がします。
もしも今、戸田先生が側にいてくれたら…と、心から思わずにはいられません。
戸田先生ならこんな時、何ておっしゃるかしら?
戸田先生、本当にありがとうございました。
先生がいたから、今の私があります。
その教えは、私の声と心の中で、一生生き続けます。
今年の大きな苦難はまた新たな自分と出会うための大切な通過点のような気がしています。
声は命、神様からの授かりもの。
これからも大切に扱い、人のために役立てていきたいと思います。
蓋が閉じてしまったような喉の感覚が変わり、やっと声が通るようになってきました。
レッスンをお待ちいただいてる皆様、申し訳ありませんでした。
来週から再開します。
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久美江